ポンタの日記トップ → 日本編 → 感動!成田空港での一夜

感動!成田空港での一夜


平穏な成田空港第2ターミナル

3月11日。この日はニュージーランドのホームステイに向かう為に成田空港にいたポンタ。学生達が集まり始めた2時50分頃に起こった『東北地方太平洋沖地震』は我々にどんな影響を及ぼしたのか?

今回は成田空港で一晩過ごした際の体験をお伝えします。



ビルの外へ避難する我々

地震発生時、空港内は大きく揺れだし看板等がいくつも落ちた。場所によっては上部にガラスがあり非常に恐ろしい。しかも異常に長い揺れだったので「いよいよ来たか」と感じたポンタであった。

その時、誰かが『外へ逃げろ』と叫んだかと思うと、人々は一斉に外へ走り出した。我先に外へ出ようと出入口周辺では非常に危険な状態だ。

写真は外の様子。屋根の落下も恐ろしいので、道を渡った反対側にも多くの人がいるのがわかる。



テレビの情報に驚愕の人々

暫くすると皆落ち着きを取り戻し、空港ビル内に入って行く。多くの人がこんな大きな地震は初めてな訳で、被害の大きさや家族の安否を心配しながらも、揺れが収まった事にホッとしている様子だった。我々は学生達の安否確認の為、建物内の捜索や情報入手に全力を尽くす。

空港内には大きなテレビがあり、多くの人が見入っている。『震源は東北沖でマグニチュード8.8!』を知り愕然。これは東海地震では無かったのか?しかも東北地方は大変な事になっているみたいだし……。



更に安全なリムジンバスの駐車場へ大移動

そして最初の地震から30分後位だったろうか、大きい余震が再び空港を襲った。道路は波打っているようだったし、街灯はあり得ない程揺れ、屋根も大きい音を出しながら我々を威嚇している様だった。

そして、ビル内の人々は外に出されて地上階にあるリムジンバスの駐車場に誘導された。多くの人達が車道を波の様に下りて来る。



お世話になったリムジンバス
トイレを備えるバスは日本では少ない

この時点では午後3時30分。日も当たって温かいのだが、駐車場待機は一向に解除される様子は無い。そこで困るのがトイレである。

この時感動したのがリムジンバスの運転手の方々。気持ちよく車内のトイレを貸してくれて、テレビやラジオからの情報を共有してくれた。最終的には避難している全員をバス内に案内してくれ、その後降り出した雨にも体温を奪われずに済んだ。リムジンの方々には感謝いたします。


1階はすでに避難所と化していた

夕方になり外も寒くなってきた。長期戦を覚悟する我々だったが、第一ターミナルはビル内で過ごしているとの情報があった。仲間と共にビル内を偵察に行くとビックリ、到着ロビーには多くの人が既に避難しているではないか!

彼らは地震発生後に入国したり、出国済みだった人らしい。それにしても凄い人の数だ。



2階から見る1階の人混み

2階から見る人混み。大型のテレビを食い入る様に見つめ、被害の大きさに驚きを隠せない。津波のショッキングな映像には目を疑った。

これから先、我々はどうなるのだろう?



途方に暮れても何も進まない。まずは食料の調達だ!バスで待っている学生達は、バスの中で雨風は凌げても腹は減る筈である。

開いている売店も見つけたが、どうやら空港ビル内では食べ物やら毛布が配られているようだ。外に避難させられた我々は忘れられたのであろうか?

学生達に水をゲット
続いて食料も得た

さっそく空港職員を探して、バスの中にいる学生の事を説明して水と食料品(リッツ)をゲット。もちろん他のバスに取り残された多くの方々の存在もアピールしてビルから離れた。


バスとビルの往復でせっせと食料品を運ぶ。その度に空港職員の方々へ、バスの中にも多くの人が取り残されている事を伝えた。そして、午後8:00にようやくビル内退避の許可を得た!

バスで来る人達には水や食料が配られた

それまで立ち入り禁止であった3階の出発ロビーがバス内避難組に開放された。バスの到着に合わせて寝袋カロリーメイト、そしてが配られた。

正直、駐車場よりビル内の方が安全かとは言い難い。しかし、広いスペースと多くの人がいる安心感が嬉しかった。



空港にはこんな備蓄もあったのか

左の写真は寝袋だが、空港の備蓄はやはり凄い。もちろん公共の場所では義務付けられているのだろうが、こんなに有難い事はない。

そして、何より嬉しいのが空港スタッフの一生懸命さ。彼らだって家族や家が心配なハズ。交通機関のマヒで当然帰れる訳もなく、交代要員が来る訳でもない。皆さん本当にありがとう!



全てキャンセルの11日

空港といえばこの看板。出発便の案内であるが、キャンセル表示で真っ赤である。そもそも成田空港の滑走路は閉鎖されており、到着便も羽田や関空などに着陸したらしい。



さて、学生達も落ち着き始めて少し時間もできたので、空港内をまわって被害の状況を見てみた。

被害の様子1

ここは最初の集合場所。旅行会社の看板は落下し、柱の周りには天井の一部が剥がれ落ちている。上部のガラスは問題なかった。



被害の様子2

ホテルバスの停留所へ向かう通路では、かろうじて照明の配線が繋がっているものの天井の一枚が完全に外れている。いかに大きな地震であったのかがわかる。



被害の様子3

2階にある売店も地震の大きさを物語る。みんな腹が減っているだろうに、火事場泥棒が全然いなかったのが素晴らしい。もちろん多くの警備員が見回り治安を維持していたが、海外だったらこんな風にはいかないだろうなぁ。日本人に生まれた事を誇りに思う瞬間です。


被害の様子4

4階のスターバックスも酷い。マグやタンブラーが落ちて割れている。

しかし、誰がこの地震の事を予想しただろうか?今頃機上の人であったはずなのに……。



出発ロビーではそれぞれ寝る準備が始まる

午後10:50、ビル内の電気が消える様子はない。皆ワンセグでテレビを見たりメールを送ったりしている。そろそろ携帯のバッテリーが無くなる頃で、壁際のコンセントには必ず携帯の充電器が刺さっている。

災害時に有効なラジオだが、何とiPhoneによるインターネットラジオも機能していたのが意外だった。



我々添乗員の寝床を作る

11:40には我々も寝床を作る。ギシギシと音を鳴らしながら訪れる余震にビクビクしながら天井を眺める。携帯の緊急地震速報などで眠れはしないが、被災者に比べれば天国なんだろう。すでに多くの人が家屋の倒壊や津波で亡くなっているのだ……。



食事に並ぶ長蛇の列

日付が変わって12:30頃だったろうか、『数は少ないですが温かい食事があります』とのアナウンスがあり、皆一斉に走り出した。

とりあえず、何が出るのか気になって見に行ったのだが大行列。配給があってもカロリーメイトだけじゃ足りる訳ではないし、やはり温かい物が食べたいのは皆同じだ。



笑顔で配るJALのスタッフ

配っている場所を見てみると、JALのスタッフがダンボールから食事を渡している。ダンボールにはチキンとビーフという文字が書いてある。そう!機内食だ。

笑顔で配るJALのスタッフも素敵である。JAL便のお客さんだけではなく、数が許す限り全員が対象だ。もちろん第2ターミナルはJALのコントロールだから、第1ターミナルではANAのスタッフが配っているのかもしれない。自分には一体何ができるのだろうか?



温かいのが嬉しいカップ麺

他にもカップ麺などが適宜配られた。機内でお馴染みRAMEN de SKY(ラーメンですかい)シリーズだ。温かい物が何より嬉しい。被災地にも早く補給物資が届く事を祈る次第だ。

更にJALのスタッフの方は『学生にお渡しください』と言って、機内で配るオレンジジュースやリンゴジュースも置いていってくれた。



朝4:30頃、多くの人が(余震で?)目覚めていた。そして、その後は眠れなかった。今日は帰れるのだろうか?

翌日も決行や未定が並ぶが出発する便も!

7:00を過ぎると空港内が忙しくなってきた。空港周辺のホテルから来るお客さんだろうか、何とチェックインカウンターに並びだした。この災害の中で『飛ぶ訳無いだろう』と思いきや、スタッフも準備を始めてカウンター前の我々も移動を余儀なくされた。

相変わらず出発便の案内ボードは決行や未定などの赤字だらけ。しかし、確かに出発する便もあるようだ。凄いな!



展望デッキでは貨物便の着陸が見える

それまで閉鎖されていた4階の買物・食事エリアも一部復活。滑走路もオープンしたようだ。

我々の便は関空に行ってしまったし、ほとんどの学生も来る事が出来ない為にその日の出発は中止となった。



最終的にバスをチャーターし、千葉駅まで4時間近くかかるも到着し無事に解散となった。こうして昨日から続く長い1日は終わったが、恵まれた環境だったといえるだろう。リムジンのドライバーさん達、空港職員やJALの方々、こんな状況でもビル内のトイレを掃除するスタッフ……。多くの人達の協力で、我々はパニックにもならずに落ち着いて行動する事が出来た。次は自分が被災者の為に何が出来るか考える時だろう。

最後になりますが、未だに苦しい状況下にある多くの被災者の方々に、温かい場所と食事が早く提供される事を祈ってやみません。頑張れ日本!



ポンタの日記トップ → 日本編 → 感動!成田空港での一夜